北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(2)UA!ライブラリー・2「愛すべき猫と兄貴」

UA!ライブラリー・2「愛すべき猫と兄貴」は、奥付によると1997年9月にソルボンヌK子により発行されています。1の発行から一年経過しています。
ちなみに1の発行人は日本資本漫画保存会でした。通販などの問い合わせ先として鹿野景子さん個人宛ての住所が記載されているのは前作同様です。
収録作品は「愛すべき猫と兄貴」、「くもの巣と風のワルツ」の2本で共に岡部多美の作品です。唐沢俊一の解説は75ページから79ページまでの5ページですが、75ページは、「愛すべき猫と兄貴と'67年少女マンガ」というタイトルページで、本文は76ページから始まっています。
なお、本文には浦賀千賀子、鈴原研一郎、木村三代子、三田京子、西谷祥子、丘けい子、里中満智子、細川智栄子、吉永小百合の写真劇の一こま、望月あきら、横山光輝、わたなべまさこ、大和和紀の出所不明のカットが使われています。そのせいで文章が少ないのでページ数の割にはもの足りません。では。

同書76ページから79ページまで。原文縦書き。強調引用者。


復刻にあたって

唐沢俊一

マンガ史上に決して残らないカルトマンガを復刻する「UA!」シリーズ、最新刊「愛すべき猫と兄貴』をお贈りする。
前作の「奇形児」がタテから見てもヨコから見てもカルトな怪作であったのに比べ、この「愛すべき~」は、見る人によっては、
「ただ単にヘタなマンガ」
であるかもしれない。いや、実際、そうなのだ。確かに見るだにヘナヘナと力が抜けるような線、コマ運び、描写、キャラクターであるのだが、逆に言えば飛び抜けてヘタ、という、例えば「人間時計』のようなカルトなまでのヘタさはない。また、「聖女もなりざ」の三田京子のように、そのヘタさが特異な個性になっている、ということもない。
ヘタなマンガならこれ以上にヘタな作品がいくらも他にあるだろうに、どうして今、これをわざわざ復刻したのか。
実は、岡部多美の、この中途半端なヘタさ加減が、今のマンガを相対化して見る際の補助線として、実に適当なのである。
この作品、一九六七年の作品である。当時すでに、「マーガレット」「少女フレンド」といった少女マンガ雑誌は花盛りで、西谷祥子、わたなべまさこ、浦野千賀子、大和和紀といった人気作家が次々と作品を発表していた時期だ。「愛すべき~」にはバレー部の話が出てくるが、バレーマンガ最大のヒット作となる望月あきら「サインはV!」は「少女フレンド」で発表ギリギリの時期、それに先行する浦賀千賀子の「友情の回転レシーブ」は「マーガレット」誌上ですでに人気を博しており、この「愛すべき~」も、そこらあたりからの影響を如実に受けている。
言わば今のマンガのマンガ的表現が確立した時期に、それらを模して、そして失敗した(笑)この作品を見ることで、われわれは、当時のマンガ表現技術の進歩がいかに画期的なものだったのかを、逆に見る事ができる。
この時期、少女マンガは、いや、少年マンガも含めてマンガ界全体は、大変動の時期であった。六七年と言えば、少年マンガ界ではあの「巨人の星」がぐんぐんと人気をのばし、その翌年には最大のライバル、「あしたのジョー」が連載開始となる。また、ギャグマンガの最高傑作「天才バカボン」の連載が開始されたのもこの六七年であった。
今に至るマンガのいわば基本レールが敷かれたこの年は、僕のような年齢のマンガファンにとって、ようやくマンガが”歴史”を脱し、現在につながる流れを持った記念すべき年と言える。
われわれが現在、アタリマエとして何げなく受容している、多くのマンガ的表現が、三十年前のこの時期、次々と生み出されていき、驚くべき貪欲さで新人作家達はそれを吸収していった。その中のいくつかの手法は、この「愛すべき~」の中でも実験的表現として、たどたどしく使用されている(例えば、レシーブの動作をコマ送りで描く、という時間の短縮・延長の技法など)。
言うまでもないと思うが、次々に変化(進化)を遂げていく最前線の作家達の作品からは、そういった変化の如実な痕跡は見いだしにくい。いまや頂点に達したと思われるマンガ表現の原型は、このようなB級ドヘタマンガに、より顕著に足跡を記している。言わば、マンガ界の基準化石的作品なのだ。どうか、そのヘタさの陰に隠れた重要な歴史的意義を味わっていただきたい。


いろいろと論理に無理があるようだ。

1)1968年に連載が始まった「サインはV!」から、1967年のマンガがどのような影響をうけるのか。

2)"今に至るマンガのいわば基本レールが敷かれたこの年は、僕のような年齢のマンガファンにとって、ようやくマンガが”歴史”を脱し、現在につながる流れを持った"

今に至るレールが敷かれたから現在につながる。トートロジーである。

3)”次々に変化(進化)を遂げていく最前線の作家達の作品からは、そういった変化の如実な痕跡は見いだしにくい”

むしろ、次々に進化する作家の作品にこそ見いだし易いのではないだろうか。

4)”マンガ界の基準化石的作品なのだ”

”示準化石”または”標準化石”。”基準化石”という言葉はない。また、使い方がおかしい。岡部多美のマンガがどこかに掲載されていたら、発行年がわかる、とでも?

あえてこの言葉を使うなら個々のマンガ技法に対して使うべきだろう。なんなら、作品中に登場するガジェットもそうなりうる。ラーメン一杯の値段とかね。

5)”重要な歴史的意義”

その様なものは第一線の作家に求めるべきである。

当時のマンガ表現技術の進歩を見たいなら一流作品に当ればいいのです。どうして復刻したのか説明できていない。

以上です。次回はUA!ライブラリ・3「おとこ足の少女」を取り上げます。私、だんだん恐くなってきましたよ。
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