北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(4)UA!ライブラリー・4「妖女の奏でる夜想曲」

唐沢俊一のマンガ論検証四回目です。UA!ライブラリー・4「妖女の奏でる夜想曲」は、奥付によると1998年5月に前作同様"日本貸本漫画保存会"により発行されています。前作とのブランクは7ヶ月です。

今回は、表紙がカラー印刷です。力入ってますね、ソルボンヌ先生。目次も何も無くいきなり始まる造りが復刻版ぽいです。欄外のつっこみが作品鑑賞の邪魔をしますけど。

唐沢俊一の文章は69ページから71ページまでの僅か3ページ。三田京子の作品からの流用カットが半分近くあるので実質1.5ページですか。では。

同書69ページから71ページまで。原文縦書き。強調引用者。


三田作品の世界

貸本マンガの調査をしていて、三田京子の作品を調べる必要が生じ、早稲田の漫画図書館へ行ったときのことだ。数点の未知の作品がそのリストにあったので、閲覧の手続きをしたのだが、いつまでたっても係員から呼び出しがない。やがて、奥から首をひねりながら出てきた係が、
「すいません、ちょっと紛失したみたいで、見当たらないんです」
と言った。貸本漫画ではなく、三田先生が故郷に帰って、中国の伝統や土地の民話などをマンガ化していた時期の作品と思われるものだったので、目を通さなくても当座の仕事に支障はなかったが、それにしても三田作品はわれわれの目になかなか触れにくい。頼みの漫画図書館がこれでは、まったくこの世は闇といったところではないか。
しかしながら、三田先生の作品は数あれど、インパクトという点で「聖女もなりざ」と「妖女の奏でる夜想曲」の二つに匹敵するものはまず、あるまいと予想はできる。タイトルから言えば、「狂い化粧の美少年」とか「美少年狂い』などの作品はかなりキているが、おなじみの「懐古館・ろびん」で閲覧した限りでは、三田作品としては中程度の出来のものだった。
三田作品に、「聖女もなりざ」と「妖女の奏でる夜想曲」の二作で最初の出会いをした僕ら夫婦は、まことに幸運と言わざるを得ないだろう。最初だったからこその衝撃、というものはあるものだ。いまでも、女房とアシスタントたちが、キャアキャア言いながら作品に食い入っていた、あの光景を忘れることができない。最初にこの二作に出会わなければ、そもそも僕は貸本B級怪奇ものの研究など、始めなかったかもしれないのだ。運命の出会いというのは、こういうことを言う
三田先生が、僕らがその存在を知った時点ですでに亡くなられていた、ということも、その神秘性をいやがうえにも増す。作品ばかりでなく、作者までが霧の中にいる。さがみゆき先生など、当時の貸本作家を知る方のお話しによると、一緒に仕事をしてたころの三田先生は物静かで、ちょっと神秘的なところのある、髪の長い美少女だったということだ。作風にいかにも合致しているような気がする。きっと、眼前の事物よりも、ちょっと遠くの風景に目の焦点が合っているような、そんな感じの人ではなかったろうか。貸本マンガ家が金銭的に裕福なわけもないが、どこかで三田先生には、そういう世俗のことを知らない、お嬢様的なイメージが付随してるのだ
もちろん、それはこっちの勝手に抱いたイメージだろう。実際は、「怪談泣くな妹よ」などの作品を読めばわかるように、三田先生はむしろ社会のひずみから生まれる貧しい者の不幸をみつめ、それに怒りを感じ、そしてダイレクトに(時にダイレクトすぎるくらいに)それを作品に反映させた。だが、絵の限界や、社会矛盾の把握の限界(それは貸本マンガというワクの中で仕方のなかったことなのだが)を見るにつけ、どうも三田先生のその怒りは、お嬢様が下々のものの苦しみに同情からの怒りを発している、そんなイメージがつきまとうのである。これは、当時同じく社会派作品を手掛けていた池川伸治などの作品にも言えることだ。どこかに浮世離れが感じられる。社会の底辺の貧しさを徹底してあばくというには、池川先生や三田先生は結局、エンターテイナー的才能が傑出しすぎていたのだと思う。
漫画家として、この現実からの足の浮き方は決してマイナスにはならない。貸本マンガなどというものは、もともと現実からの数時間なりとも(ママ)の脱出を目的に読むものだ。そこでどうしようもなくドス黒い現実の姿をつきつけられるよりは、ひとときの逃避の快楽を与えてくれた方がどれほど当時の若者にとっては有効なものになり得ていたか。「妖女の奏でる夜想曲」の、およそ現実からスッ飛んでいる、あのファンタスティックな世界こそ、三田先生の本来のものだったと思う。当時の風潮から社会派的なものを多くお描きになっていたことは、かなり残念なことのように思えるのである。
ところで、漫画図書館で僕が閲覧しようとした作品は「金瓶梅」だった。中国の、あの濃厚で幻想的な愛欲絵巻を、三田先生はどのようなタッチで描いておられたのだろう。いま、僕はそれが気になって仕方がないのである。


短い文章なのに前半まるまる使っての自分語りにはうんざりする。

"まことに幸運と言わざるを得ないだろう"、"あの光景を忘れることができない"、"運命の出会いというのは、こういうことを言う"

くどいなあ。続く文章では三田京子の作者像として、

"その神秘性をいやがうえにも増す。"、"作者までが霧の中にいる"、"ちょっと神秘的なところのある"、"そういう世俗のことを知らない、お嬢様的なイメージが付随してるのだ"

等と、延々主張しておいて、

"それはこっちの勝手に抱いたイメージだろう。"

とひっくり返す。本当に書く事が無かったんですね。で、所詮はお嬢様が下々のものの苦しみに同情しているような浮世離れしたものでしかない、なぜならエンターテイナー的才能が傑出しすぎていたから、と良くわからない理屈で結局腐している。唐沢の中ではエンターテイナーは浮世離れと同義なんだろうか。

貸本マンガは現実逃避の手段だから現実的でない方が良い、というのは、そういう需要があったろう、という意味で正しいが、

"そこでどうしようもなくドス黒い現実の姿をつきつけられるよりは、ひとときの逃避の快楽を与えてくれた方がどれほど当時の若者にとっては有効なものになり得ていたか。"

あまり言いたくないが、えらい悪文だ。"つきつけられるよりは"、"与えてくれた方が"、"なり得ていたか。"、主語は誰(何)だ?

唐沢の主張を纏めると、

1)三田京子は社会派的な作品を多く書いたが、エンターテイナー的な資質のせいでお嬢様的な浮世離れしたものになった

2) こういう資質は一時の逃避の快楽を読者に与える貸本マンガの作者にとってマイナスではない

3)社会派的なものではなく、自分の資質に合った「妖女の奏でる夜想曲」のようなものをもっと書いて欲しかった

となるが、"三田作品はわれわれの目になかなか触れにくい"と書いておいて、「怪談泣くな妹よ」を読めばわかる、の一言で社会派だ、と主張するのはあまりに不親切だ。

ここと、エンターテイナー的才能の所をしっかり解説してあれば結構まともなマンガ論になったかもしれないのに。まあ、唐沢の主張が裏付けのあるもの、と仮定しての話しですが。

半分以上が無駄口とはいえやっとマンガ論らしきものが掲載されました。

次回はUA!ライブラリ・5「悲しい星の子」を取り上げます。
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  • 2011.04/27 19:30分 

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