北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(9)UA!ライブラリー・9「 ねずみ娘」

UA!ライブラリー・9「 ねずみ娘」はUA!ライブラリー・10「すごいけどへたな人」と同時に2002年3月に"日本貸本漫画保存会"により発行されています。通販の申込先は8同様鹿野景子宛になっています。前作とのブランクは4ヶ月というラッシュぶりだけどなにかあったのかな。収録作品は、『青い蛾』、『ネックレスは笑う』、『ネズミ娘』の三本で「好美のぼる初期作品集成下巻」というサブタイトルです。集成で、上下巻合わせて六本は少ないようですが。『ネズミ娘』は抄録もいいところで僅か6ページ。ストーリーすらわかりません。唐沢の文章はp75からp78までの4枚ですがイラストで半分埋まっているので実質2pです。では。

本書75ページから78ページまで。原文縦書き。強調引用者。
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好美のぼるの心の闇

唐沢俊一解説

好美のぼる先生には生涯、その脇で先生に尽くした女性であるシズエ夫人がいた。好美先生は原稿を書き終えると、まっさきにシズエ夫人にそれを見せ、感想を求めるのが常であったという。シズエ夫人は、しかしいつでも、
「とでも面白いわ!」
と言うだけで、作品への批評めいた事は一切口にしなかったという。夫人のその奥ゆかしさに当ライブラリーの読者は感謝しなくてはならない。これで夫人がマンガに一家言ある女性で、いろいろとストーリィや構成などに口を出していたら、後世の読者は、あのめくるめく好美マンガのブッ翔びぶりを楽しめなくなってしまっていたかもしれないのである。
今は未亡人となられたシズエさんへのインタビュー記録はいくつかあるが、とれにも奥様と書かれているし、私たち夫婦も奥様々々と呼ばせてもらっている。
しかし、実は好美先生とシズエ夫人の間に(ママ)、籍は入っていなかった。好美のぼるの故郷、神戸に、マンガの道を選ぶために上京した彼が置いてきた、戸籍上の妻と子供がいたのである。好美のぼるは、晩年にいたるまで、実質上の妻であったシズエ夫人に(ママ)籍を入れてやれなかった事を気にかけていたという。唯一の救いは、好美先生の死去の後、シズエ夫人とその実家が争うようなことのない、いい関係を保っていることだ。だが、生前の好美先生は、故郷の話を一切しないくらい、故郷と自分の縁を忘れたいものとしていたらしい。
好美のぼるの作品を読む場合、多くの人はそのストーリィの奇抜さに目を奪われて、アレヨアレヨと展開されるその好美ロジックの強引さのトリコになる。それは極めて正しい好美マンガ鑑賞法ではあるのだが、しかし、その何も考えていない(好美作品への褒め言葉だ、これは)ような展開の裏に、実はかなり深い人間不信のようなものがうかがえることを、好美作品をすでにかなり読みこなした読者は気がついていることだ(ママ)と思う。
その典型の一つが、今回復刻した『ネックレスは笑う』だろう。
無生物が意志を持ち、人間たちを翻弄するという話は好美のぼるの十八番で、『死のハンドバッグ』『呪いのワンピース』など、さまざまな作品にそれは描かれ、器物が精霊と化す付喪神信仰の戦後昭和の新バージョンとして跳梁しているわけだが、おそらく、この『ネックレスは笑う』の殺人ネックレスは、それら好美ワールドの無生物妖怪の嚆矢にあたる。ヘビのように這って人を絞め殺したり、バラバラに分解されて人間の皮膚の下にもぐりこんだりするその大活躍(?)は読んでいて痛快きわまりないが、しかし、この作品でむしろ目立つのは(ママ)、出てくる連中がほぼ、ヒロインとその元家庭教師の良ちゃん以外、全員が悪人である。普通、こういうマンガでは最後まで忠実な存在として描かれるばあやまでが(冒頭で忠義な怒りを爆発させるシーンまであるのに)実は悪人と内通してネックレスを奪おうとしていた、という設定である。よほど、人間の善意というものを信頼していない作者でなければ、こういう作品は描けないのではあるまいか。好美作品の多くに、他の怪奇もの作家に比べても、かなり救いようのない暗さがただよっていることはおわかりのこととおもうが、それは故郷喪失者、家庭喪失者であった好美先生の、心の闇の反映ではなかったかと思う。
今回のメイン復刻作品の『青い蛾』の方はというと、これは徹底して内容がない。ガの化身である少女(ガの化身なのに最初はガを食べる病気として描かれていて、例によって好美流のイキアタリバッタリ的展開には随喜の涙が出るほどだが)の悪事には、まったく意味がない。意味がなさすぎるところが、逆にこの妖怪少女に凄まじい迫力を与えている。コうるさい動機や背景などものともせずに、ただ自分より美しい少女をねたんで殺す。この、根源的とでもいうべき憎しみのパワーには、下手なストーリィテリングはいらない、とすら思えてしまう。好美先生の意識の中にあって(ママ)、心の中の闇というものは理由あって生まれるものではなく、ただ、そこに存在し、その衝動に人は(ママ)さからうことができないもの、だったのではないか。
ファンの勝手な想像だが、もしそうだとしたら、好美作品は日本人の創作家には希有な、純粋悪・絶対悪というものが描かれた作品だと言える。シェイクスピアがイアゴーを創造したように、好美のぼるはこの毒蛾少女で、その究極の闇の心の持主を創造したと言えないだろうか(言えないだろうけど)。
この『青い蛾』と『ネックレスは笑う』には、ラストにどちらも原画があたるクイズがついている。その問題が、
「この青い蛾は何人の人間を殺したのでしょう」
「ナイルの涙のネックレスは何人の人間をしめ殺したのでしょう」
というミもフタもないものだ。貸本マンガが教育の場から目の敵にされたのはこのダイレクトな悪趣味さであろうが、しかし、子供たちはグリム童話の昔から、こういう残酷さを好むものだ。それは純粋だからである。純粋さは決して優しさや美しさで表されるものではない。むしろゾッとするほどの残酷さの中に、人間の心の、虚飾をすべてはぎとった純粋さが見えるものだ。
しかし、あまりに純粋なものはドラマには向かない。ドラマはそこにさまざまな縛りを加え、いたずらな複雑化をもって真の人間性を押し隠す。ドラマ作りに一切のこだわりをもたない、おそらく日本でも有数の作家である好美のぼる先生であればこそ、ここまで純粋な悪を描くことが出来、また、残酷さを表に出すことが可能だったのだ。
好美マンガが作品として質の高いものだ、などと強弁するつもりは毛頭ない。しかし、世に残るストーリィテリングの名人たちの作品からは決して受け取れないダイレクトなパワーを、好美作品は読者に与えてくれる。これがマンガというものの持つ根源的なパワーなのだ。そのことを思い出すためにだけでも、好美作品は時折読み返される価値がある。

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今回もかな遣いのクセと悪文で入力が大変でした。入力が済んだら八割方作業が終わったようなものです。今回から、文章そのものと内容を分けてチェックします。

まず文章から。修正案は '>'以下。

"好美先生とシズエ夫人の間に、籍は入っていなかった"

籍は間に入れるものじゃない。

>"シズエ夫人は好美先生の籍に入っていなかった"。

"シズエ夫人に籍を入れてやれなかった事"

てにをはができていない?

>"シズエ夫人を籍に入れてやれなかった事"


"うかがえることを、(略)読者は気がついていることだと思う。"

"ことを"、"ことだ"は変。順序を入れ替えるとつながる。

>"しかし、好美作品をすでにかなり読みこなした読者は気がついていると思うが、その何も考えていない(好美作品への褒め言葉だ、これは)ような展開の裏に、実はかなり深い人間不信のようなものがうかがえる。"


"この作品でむしろ目立つのは(略)良ちゃん以外、全員が悪人である。"

目立つのは全員が悪人である?

>"良ちゃん以外、全員が悪人である、ということだ。"


"好美先生の意識の中にあって、心の中の闇というものは理由あって生まれるものではなく、ただ、そこに存在し、その衝動に人はさからうことができないもの、だったのではないか。"

好美先生の意識なのか、人一般の意識なのかあいまい。多分前者だろうが、全面書き直しが必要。

>"好美先生の心の中の闇は理由あって生まれたものではなく、ただそこに存在し、その衝動に逆らうことができないものだったのではないか。"

もし後者なら、

>"心の中の闇というものは理由あって生まれるものではなく、ただ、そこに存在し、その衝動に人はさからうことができないのではないか。"


"シェイクスピアがイアゴーを"


Iagoはカナ表記するとイアーゴだろうな。

次、内容を検証します。

論旨を纏めると、

1)好美のぼるは故郷に妻子を残して上京して来た故郷喪失者、家庭喪失者である。それゆえ心に闇が存在し、作品には深い人間不信が伺える。

2)その心の闇故、『ネックレスは笑う』は人の善意というものを全く信頼しない作者でなければ描けない救い様のない暗いマンガとなり、『青い蛾』は日本人の創作家には希有な、純粋悪・絶対悪というものが描かれたマンガになった。

3)ドラマ作りに一切のこだわりをもたない、好美のぼる先生であればこそ、ここまで純粋な悪を描くことが出来、また、残酷さを表に出すことが可能だったのだ。

となる。

シズエ夫人という生涯の伴侶を得ているのだから、(1)は成立しないと思う。そもそも、どんな事情があって故郷を捨てて上京してきたのか一切考察がない。まさか想像で書いてるんじゃないだろうな。(2)は、従って主張するだけの根拠がないと言わざるを得ない。根拠を示さず、作品を読んだことのある読者であれば気がついているはず、と2回も主張しているのは怠慢である。(3)は唐沢の持論というべき好美のぼる論で、ストーリーが破綻しているがそこを楽しめ、と言ういつもの主張である。UA!ライブラリ1「奇形児」の解説では、"たぶん、月産四百ページという重労働の中で、そんなテーマ性などかまっちゃいられなかったのだろう。"と書いていたが、ここでは好美のぼるはドラマに一切こだわらない作家にされてしまった。唐沢こそ自分の主張にこだわって欲しい。

本筋と関係ないおまけ。


"器物が精霊と化す付喪神信仰の戦後昭和の新バージョンとして跳梁しているわけだが"

『死のハンドバッグ』、『呪いのワンピース』何れもありふれた怪談で、付喪神信仰の戦後昭和だの新バージョンだの意味不明。

次回はUA!ライブラリー・10「すごいけどへたな人」を取り上げます。

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