北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(10)UA!ライブラリー・10「 すごいけどへたな人」

UA!ライブラリー・10「すごいけどへたな人」は2002年3月に"日本貸本漫画保存会"により発行されています。通販の申込先は9同様鹿野景子宛になっています。収録作品は、峰しのぶ『遠い夢の日』、尾瀬京子『ノリちゃんは死んだ』、桂すみれ『月夜の宝石』、南原治子『白い花の恋』の四本で、他に素人の投稿漫画が収録されています。唐沢の文章はp75からp78までの4枚ですがイラストで半分埋まっているので実質2pです。あれ、UA!ライブラリー・9「 ねずみ娘」と一緒だ。では。

本書75ページから78ページまで。原文縦書き。強調引用者。
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どヘタのどパワー

唐沢俊一解説

「歌よみは下手こそよけれあめつちの 動きいだしてたまるものかは」
というのは江戸時代の狂歌師、宿屋飯盛の歌ったものだ。もちろん、紀貫之による古今和歌集の序文
「力をも入れずして天地を動かし云々」
のパロディというか、痛烈なからかいである。やんごとなき身分の人々の風雅のわざである和歌に対し、天明時代に最盛期を迎えた狂歌は、下級知識人たちの徹底した知の世界の、ナンセンスな言語遊戯であった。そこで尊ばれるのは何よりも機知であり、見立てのうがちだった。技工(ママ)を磨いて天地を震撼させることよりも、当意即妙のその場のウケの方を彼らは優先させた。もちろん、その機知にも技術は必要だったが、技巧の粋をつくすことに才を見せていた狂歌作者・唐衣橘州は、その人気において、機知(アイデア)を何より優先させたライバル、四方赤良(太田蜀山人)に破れ、姿を消していったのである。橘州一派の狂歌はテクニックに走りすぎて、一般のファンにアピールするパワーを逆に衰退させてしまっていたのだった。
これは狂歌に限らない。あらゆる大衆芸術というものは、その発展のモトヰとして、やみくもなパワー、それも多くは技術的に未熟な、要するにヘタクソさが生み出すパワーをその底に持つ。ヘタクソな、しかしどこに吹き出すかわからぬ奔放なパワーを持った作品群が巷にあふれるときが、その分野の最盛期であり、黄金時代である。やがてその芸術ジャンルが爛熟し、高踏的となり、技巧を誇る作者たちが出始めると、不思議なことに、そのジャンル自体は衰退のきざしをみせ始める。
殊にマンガの世界において、ヘタクソというのは非常に大事な要素であった。それは、マンガというものが描く世界に理由があった。かの《神様》手塚治虫は、マンガの楽しさの原点は何か、という問いに答えて、
「したたかなウソ、ホラ、デタラメ、荒唐無稽、支離滅裂さ」
である、と断言している。こういう世界を描く時に、一番の武器となるのが絵のヘタクソさなのである。
荒唐無稽支離滅裂な世界をリアルに描くには、すさまじい画の才能、ストーリィ作りの天稟を必要とする。そんな筆力を持った者など、マンガ界広しと言えども数人、いるかいないかというところだろう。
そんな人数の選ばれた者しかマンガを描くことが出来ないとすれば、とてもマンガは娯楽の王者の座を確保できなかったろう。しかし、昭和三〇年代、これから黄金時代を迎えようとしはじめていたマンガというジャンルは、荒唐無稽の世界を描くのに、ヘタ、という最大の武器を大量に持っていた。
ヘタゆえに、マンガはダイレクトに、どんな残虐な光景も、どんな美しい世界も、どんな雄大な設定も、描き出すことが出来た。なぜならば、ヘタであるが故に描き得ない部分を、読者はその想像で補ったからである。うまい作者が描く世界は、その作者の筆の先をついに出られない。どんなに努力しても、そこにはおのずと限界がある。しかし、ヘタな作者は、そんな非能率なことはせぬ。自分の画力の至らない部分は読者たちが、その奔放な想像力でどこまでも描き足し、その脳裏に実物の数十倍する魅力ある世界をつむぎ出していたからである。
面白いことに、手塚治虫自身、自分の絵が正規のレッスンを受けていない下手なものだということを生涯気にしていた。手塚ばかりではない、『のらくろ』の田河水泡は日本美術学校で絵を学んだが、主流の画壇からはずっと、絵が下手だからマンガなどに行ったと陰口を叩かれていた。その田河が最も可愛がった弟子である長谷川町子は、『サザエさん』で一世を風靡してもなお、例えば坂口安吾などから、”絵が下手、コンマ以下”と酷評されていた。(坂口は長谷川のアイデアは絶賛しているのだが)。さらに田河は後輩の大鬼才杉浦茂の絵を”首がないじゃないか”とけなし、世論はまた紙芝居あがりで片腕の(!)マンガ家、水木しげるの絵を不潔であると糾弾した。こう並べてみると、逆に絵が下手であることが才能の証明のように思えてくるから不思議である。下手な絵の持つパワーは、なまじの技巧などをガキ扱いするインパクトを持っているのである。
『UA!ライブラリー』、今回はわれわれ編纂者念願のヘタな絵特集である。もちろん、これまで特集した作家の皆さんもヘタだったが、それでもまだ、彼ら彼女らにはヘタ以上の何物かの才能があった。今回取り上げている人の大部分は、ただヘタなだけ、である。しかし、それ故により一層純粋に、マンガにおけるヘタのパワーというものが、読者の皆さんの目に飛び込んでくることを信じて疑わない。読み終わったあとでは、絵の上手なマンガなんてものが幼稚臭くて読めなくなる

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毎度の事だが表記の不統一で入力が大変でした。今回からそれも指摘します。

表記の不統一

1)"技巧"と"技工"。

2)"ヘタ"と"下手"。

3)"絵"と"画"。

4)"十"と"0"。

文章。修正案は">"以下で。

"モトヰ"

はったり。わざわざ旧カナにする意味はない。

>"基" または "もとい"

次は内容。

結論は ただ下手なだけのマンガを読むと "絵の上手なマンガなんてものが幼稚臭くて読めなくなる" だ。そうだろうか。唐沢自身、"荒唐無稽支離滅裂な世界をリアルに描くには、すさまじい画の才能、ストーリィ作りの天稟を必要とする。そんな筆力を持った者など、マンガ界広しと言えども数人、いるかいないか"と書いている。そんな作品が幼稚臭い?例によって唐沢は実例を挙げていないのだが、"荒唐無稽支離滅裂な世界をリアルに描く"だけでよい(大衆的な人気が伴わなくて良いならなおさら)なら、いわゆるマンガ読みでない私でも即座に何人でも挙げられる。紋切り型の詰まらない結論を読まされただけ。不真面目だな。唐沢の不真面目ぶりは文章全体に見られる。

"技工(ママ)を磨いて天地を震撼させることよりも、当意即妙のその場のウケの方を彼らは優先させた"
"橘州一派の狂歌はテクニックに走りすぎて、一般のファンにアピールするパワーを逆に衰退させてしまっていたのだった。"
"やがてその芸術ジャンルが爛熟し、高踏的となり、技巧を誇る作者たちが出始めると、不思議なことに、そのジャンル自体は衰退のきざしをみせ始める。"

物事を主張するときは具体例を挙げて説明するのかモノカキの仕事じゃないか?そうじゃないとただのハッタリかやっつけだ。

最後に、言いたくないがどうしても言って置かなくてはならない一言。

丙種不合格の唐沢風情が傷痍軍人である水木しげるをつかまえて"紙芝居あがりで片腕の(!)(ママ)マンガ家、水木しげる"とはナニゴトかね。

次回はUA!ライブラリー・11「霊媒尼さん ゆうれい母さん」を取り上げます。
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*Comment

NoTitle 

地震と原発で唐沢俊一への関心もだいぶ遠のいてるのですが、田河水泡と杉浦茂を先輩後輩の関係としているのは、どうなんだろうか。ふつう先生(師匠)・弟子というふうに考えられていると思うのですが。長谷川町子への言及があるのでよけいヘンです。
  • posted by discussao 
  • URL 
  • 2011.04/09 18:00分 
  • [Edit]

付け足しです 

discussao様、コメントありがとうございました。
手塚治虫や水木しげるが絵が下手だったから人気が出た、という論旨がそもそも変なのですが、その根拠が、手塚は本格的な美術修行をしていない事を認めていて、水木は世間に不潔な絵と糾弾されたから、に至ってはなにが言いたいのかすら解りません。
  • posted by altnk 
  • URL 
  • 2011.04/10 19:00分 

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