北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(11)UA!ライブラリー・11「 霊媒尼さん ゆうれい母さん」

UA!ライブラリー・11「霊媒尼さん ゆうれい母さん」は2002年8月に"(株)東京文化研究所"から発行されています。通販の申込先も同じです。今回もUA!ライブラリー・12「わたしは貧しいニコヨンの。」との二冊同時発売です。前二册から僅か五ヶ月の間ですからペースが早いです。収録作品は、望月みさお『霊媒尼さん』、『母子ゆうれい』の二本で、唐沢俊一の解説は74ページから77ページまでの4枚です。では。

本書74ページから77ページまで。原文縦書き。強調引用者。
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切ってすぐ出る……

解説・唐沢俊一

麻雀で牌を切るときの無駄口に、
切ってすぐ出る芝居の幽霊」というのがある。大衆演劇は展開が早いから、被害者は殺されて袖に下がると、すぐに幽霊のメイクに変わって出てくる。だいたい昔の幽霊というのは、うらみ重なる相手をとり殺すには何年もかけて、まず家族を悩ませ使用人を悩ませ、最後にその相手に祟ってとり殺す、というのが定番になっていたものだ。そういうたたり方の代表が『累ヶ淵』で、これは人のうらみが親から子、さらにその子と重なっていく話である。
それが、時代の変遷とともに、幽霊もだんだんスピーディになっていき、とにかく殺されたらすぐに化けて出て、自分を殺した相手にとっつく、という風になり始めた。斬り殺されるともう、次の幕では幽霊になって
「うらめしや……」
と来なくては、観客の興味をひけなくなってきたのである。
怪談映画の名人と言われた中川信夫(『東海道四谷怪談』が代表作)に『怪談蛇女』という作品があるが、これは明治初期の話。小作人を高利の借金で縛りつけ、搾取に搾取を重ねてきた地主のせがれ(山城新伍)が、小作人(西村晃)の娘に目をつける。ちょうどその小作人は結核を患って寝たきりになっている。借金の方に(ママ)と娘を奪いとる強欲な地主(河津清三郎)。小作人は娘を連れ去ろうとするその足にすがりつき、
「旦那さま~、おら土かじっても借金を返しますで、娘だけは」
と泣いて頼むが、地主は彼を蹴り飛ばし、娘を馬車に連れ込む。小作人はなおも娘を救おうとするが、馬車の車輪にはねとばされて無惨に死んでしまう。
地主はその様子を馬車の窓から見ても同情も何もしないのだが、そのとき、馬車の中に、スーッ、とその小作人のゆうれいが現れるのである。
地主もおどろいたかも知れないが、見ているこちらも驚いた。今さっきそこで殺された男がもう、幽霊になって出てくる。なるほど、新時代の幽霊というのはかくの早く出るものか、と、怖がるより感心してしまったような次第であった。しかもこの西村晃の幽霊、後に水戸黄門になるとも思えぬ情けなさで、幽霊になってもうらめしやとかうらみはらさでおくべきかとかでなく、生きていたときとおンなじセリフで、
「おら土かじっても借金返しますで、娘を~」
とかきくどく。あんまり急いで幽霊になってしまったもので、自分が幽霊になったことをまだ認識していないのではないか、とも思える。
しかし、恐ろしいことに、この映画の西村晃が、幽霊になって出てくる新記録(ママ)ではない。もっと早いのがある。美空ひばり主演の怪談映画(と、言うだけでも珍しいが)『怪談番町皿屋敷』。昭和三二年の映画だが、当時の美空ひばりと言えばピカピカのアイドル。今のモーニング娘。を数十倍したような国民的人気を誇っていた。そんな人気絶頂の彼女を、血みどろになって
「一枚、二枚……」
と皿を数えるなんという(ママ)陰気な幽霊役にさせられるわけもない。
そこで監督の河野寿一は、なんとお菊が皿を数えない、血も流さない、しかも最後はハッピーエンド(ママ)になる番町皿屋敷を撮ってしまった。皿を数えないのはまだしも、幽霊映画で最後がハッピーエンド(ママ)というのはどういうのか、というと、旗本の青山播磨(東千代之介)は、本当はお菊を愛していながらも家のために重役の娘と結婚することになり、それをうらんだお菊がわざと家宝の皿を割ったことに腹を立て、彼女を斬り殺して井戸に投げ込む。しかし、それから毎夜、お菊の幽霊が現れて、播磨はノイローゼとなり、あるとき町奴と斬り合いをして重症を負い、家に帰ってお菊の井戸の前で倒れる。すると、播磨の肉体から霊が抜け出て、お菊がうれしそうにそれを迎え、これからは身分や家を気にしないでいつまでも二人、などとうれしそうに話し合う。こうして見事、番町皿屋敷をハッピーエンドにしてしまうわけだが、問題なのはその二人の幽霊が話している後ろで、こっちに東千代之介がすでに幽霊になっているというのに、むこうでは、瀕死の播磨が、まだズルズルと井戸の方へ這い寄っていっているのだ。
……つまり、まだこの霊は本体が死ぬ前に現れたわけで、これが気の早い幽霊の歴代ナンバーワンと言える。まあ、審査されたらフライングで失格になるかもしれないが。
このUA!シリーズ、満を持しての登場になる望月みさおのブッ飛びぶりはみなさん、すでに十分にお楽しみであろうが、この人のマンガも、展開の早いことにかけてはなかなかのものだ。新時代のマンガ、という気がする。大ゴマを大胆に使い、かつマンガチックな絵柄を、ここぞという場面では劇画タッチを取り入れた画風にし、読者をストーリィでなくインパクトでひきずっていくやり方は、すでに貸本マンガも、そのライバルであり結果的に貸本を滅ぼすことになる雑誌連載マンガから多くのものを取り入れていることがわかって興味深い。
雑誌連載マンガは読者の感覚にあわせて、とにかくスピーディにスピーディにと話を展開させていく。一方、貸本マンガは単行本で一冊の書き下ろしが出来ると言う特性を利用してじっくりと話を描き込む……そのような使い分けを、貸本マンガの作者たちがも少し考えれば、貸本マンガの命脈ももうちょっと延びたかと思うのだが、それは当時の業界の端っこにいた作家たちにとって無理な注文だったかもしれない。

とにかく、『霊媒尼さん』のとみ江の幽霊も、死んでから幽霊になるまでの時間はマンガにおけるレコードと思われるほど短い。しかも、死ぬ前にかばっていた尼さんをオドして穴に落としこむのだから、どうもその言動が首尾一貫していないうらみがある。
……やはり、あまり早すぎる幽霊化というのは、化けるにしてもついウッカリが多いのではないだろうか。そんな気がする。
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今回の一貫しない言葉使いは、

"祟"  "たたり"

だけ。

おかしな文章は、


"そんな人気絶頂の彼女を(略)幽霊役にさせられるわけもない。"

てにをはと動詞と活用、要するに全部が変。

>"そんな人気絶頂の彼女に(略)幽霊役をやらせるわけにはいかない。"


"皿を数えるなんという"

タイポ?

>"皿を数えるなんていう"


"最後はハッピーエンド"、"最後がハッピーエンド"。

二回もやってる。言うまでもなく"最後"は余計。

内容ですが、まず"切ってすぐ出る芝居の幽霊"なる言葉は検索しても全くヒットしません。"切れば出てくる芝居の幽霊"というのが見つかりましたが意味は"切っても切っても次々に出てくる"です。そうなると、大衆演劇は展開が早い云々の唯一の根拠が無くなり、論が成り立たなくなるのですが。まあそんな地口(しかもガセ)だけに依拠した論にどれだけの意味があるのか、とも思います。ここで話を止めても良いのですが、せっかくなので言及されている映画を調べてみました。四ページ中で三ページも使って映画の話ばかりしていて、マンガの解説としてはどうなんだと思いますが。


『怪談蛇女』はこちらを参照させていただきました。
"ホラーSHOX【呪】"

"映画|怪談蛇女"より引用。

>地主の馬車が田んぼのあぜ道を走って行くと、そこにかわいそうな男が出てくる。必死顔で馬車にすがりつき「おらの畑をとりあげねえでくだせえ。おねげえし ますだ」と直訴するのであるが、冷血地主は当然ながらシカトである。大沼長兵衛にとって、貧乏小作人など田んぼのカエル同然の存在なのだ。ケッ。
(略)
>その後まもなく、弥助は病死する。死ぬ間際まで借金の心配をしている男であった。残されたのは、妻すえ(月丘千秋)と一人娘のあさ(桑原幸子)である。


だいぶ違う。そもそも病死だし、死んですぐに化けて出る訳でもない。唐沢はなぜこんなデタラメを書くのだろう。あ、唐沢だから?

"地主はその様子を馬車の窓から見ても"

明治初期の、窓のある馬車ってどんな馬車なんだか想像できません。まさかドア付きの四輪馬車とか?そんなシーンがそもそも無いので適当を書いているのでしょう。

『怪談番町皿屋敷』はこちらを参照させていただきました。
"いくらおにぎりブログ"

"【映画】怪談番町皿屋敷"より引用。

"気が弱いくせに、見栄っ張りな千代之介は、町で奴どもと喧嘩になります。啖呵だけは立派なんですが、めっぽう弱い千代之介は、あっというまにボロボロに。 ようやくの思いで、家に帰りついた千代之介は、井戸の近くで倒れ伏します。その体から立ち上がる半透明の千代之介。凛々しい若武者ぶりです。そして井戸か らは御嬢、美空ひばりがやはり現われます。しっかり抱き合う二人。一方、千代之介(本体)はズルズルと井戸まで這っていき、ドボンと落ちていくのでした。"

唐沢俊一の作文の悪弊の一つ、無理に面白がろうとしてガセになってしまっています。これは千代之介の魂の描写と見るべきで、化けて出たとは観客も役者も思っていなかったでしょう。唐沢はなぜこんな(略)。

全体の論旨は、

- 雑誌連載マンガは読者の感覚にあわせてスピーディーに展開する。

- 望月みさおは雑誌マンガの新しい感覚を取り入れた貸本作家である。

- 貸本マンガは雑誌連載マンガと差別化をはかるため、じっくりと話を描き込めば棲み分けができて命脈が延びたかもしれないが、当時の業界の端っこにいた作家たちにとって無理な注文だった。

ずいぶん無礼な物言いなのはいつものことだが、結局望月みさおを貶しているのですね。

次回はUA!ライブラリー・12「わたしは貧しいニコヨンの。」を取り上げます。
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*Comment

おかしな文章追加 

> 借金の方にと

漢字で書くのなら「借金の形」ですね。平仮名のほうが分かりやすくてよいと思いますけど。
「借金のほう」ってどっちのほうかと一瞬思っちゃいました。
  • posted by 粗忽亭主人 
  • URL 
  • 2011.05/24 11:25分 
  • [Edit]

Re: おかしな文章追加 

>粗忽亭主人様、

ご指摘ありがとうございました。確認したところ原文通りでしたので引用文に"(ママ)"を追加しました。

うっかり見落としてしまった,って私が謝るところじゃありませんね(笑)。
  • posted by altnk 
  • URL 
  • 2011.05/24 20:28分 

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