北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(12)UA!ライブラリー・12『わたしは貧しいニコヨンの。』

UA!ライブラリー・12『わたしは貧しいニコヨンの。』は2002年8月に"(株)東京文化研究所"から発行されています。通販の申込先も同じです。UA!ライブラリー・11『霊媒尼さん ゆうれい母さん』との二冊同時発売です。収録作品は、中川秀幸「エンゼルの翼」、中川秀行(同一人物)「別れの手紙」の2本ですが、上下2段組で同ページに収録,という無茶なフォーマットです。似た様なマンガだ,という事を強調したいという意図はわかりますが読み難いです。唐沢俊一の解説は75ページから78ページまでの4ページですが、中川秀幸の出所不明のカットが6枚使われていて実質はせいぜい3ページです。では。

本書75ページから78ページまで。原文縦書き。強調引用者。
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貧乏という要素

解説・唐沢俊一

最近,物語が面白くない。
マンガはことにそうだ。
そう、思っている人の数は決して少なくないと思う。
確かに今だって,面白いものを描く人はいる。しかし、いつの時代でも面白いものを描く人は一定のパーセンテージはいるわけで、この率はそう、変わっているわけではない。
中間層より下のマンガの面白さが,おしなべて失われている。そして、それがマンガ全般の底をかなり低くしているのではないか。そんな感じがする。するでしょう?
その理由をいろいろマンガ界内部に求める人がいるが,これだけ情報化が進んで,画力もストーリィテリングの技術も上がっている時代に,面白いマンガを描ける人の数が減ってきている,というのがそもそも疑問だ。
やはり,これは、マンガに必要不可欠なドラマを作る基本設定がなくなってきている、それが原因ではないかと思う。
その基本設定とは,
「貧しさ」
である。
およそ、マンガに限らず,全てのドラマの基本となる要素,基本となる舞台条件,基本となるモチベーションの根本根源こそが、貧しさというものである。
昔はマンガを読む層というのは,おしなべて貧しい層であった。上流階級の坊ちゃん嬢ちゃんは、マンガなどという下品なものはあまり手にしなかった。雑誌くらいならばまだ,読んだかもしれない。しかし、貸本マンガ,これはもう、徹頭徹尾貧乏人の娯楽であった。
マンガは常に,貧しいものの味方であった。貧しいからこそ,人は夢を見る。その夢を見る手伝いを,マンガは受け持っていた。自分と同じ貧しい境遇に主人公たちがおかれているだけで、読者はそこに共感をおぼえ、主人公に自分の身を重ねられた。
描く方のテクニックにそれほどのものがなくとも、貧乏の描写さえあれば,ストーリィの中に入り込むことは、さほど難しいことではなかった。また、読む方以上に、描く方も貧乏だったから,その描写はお手のもので,さまで才能を必要とするようなことはなかったのである。
つまり貸本マンガとは,貧乏人の貧乏人による,貧乏人のための芸術であった。貧乏ゆえに,その夢の対象として描かれる金持ちの描写にはいささか怪しいものがあったが,描き手読み手の双方共に、金持ちの生活なんて知らなかったのだから,リアリティのなさは問題とはされなかった。
作者と読者の間に共通する認識,共通する感覚が横たわっているのだ。これで読者の共感が呼べぬわけがない。マンガ業界の中間層を形づくる,一流の下から二流の中,クラスの作家たちも、超一流や一流の作家と互して(ママ)、十二分に読者を楽しませることが可能だった。マンガの黄金時代はかくの如くして成立していたのである。
それが今ではどうだろう。
日本人は大部分が中流家庭(ママ)などという、わけのわからんものへと成り果てた
今だって貧しい人々はいるぞ、という声もおありかと思う。
違うのである。
貧しさの単位が,昔(昭和二、三十年代)と今では天と地ほども,月とスッポンほども、氷川きよしとビートきよしほども違うのである。
どんな金持ちでも、貧民に無条件で頭を下げさせることが出来なくなった。その差が縮まってしまったためである。食べるものだって,金持ちと貧乏人の差がそれほどなくなった。昔はメロンだのビフテキだのというものは、貧乏人が一生かかっても口に出来ぬものだったのだ。貧乏な主人公がそれを口にしただけで,ドラマは生まれ得たのである。
マンガは物事を記号として表す芸術である。今や,金持ちを表す記号(洋館,パイプ,ガウン,テーブルの上の果物,召使エトセトラ)も、貧乏人を表す記号(つぎのあたった服,長屋,夜なべ仕事,思いあまっての盗みエトセトラ)などというものも描けない。リアルでないという理由で。
UA!ライブラリーに採録されるマンガには,一流のものはそうはない。大抵は二流以下の作品である。にもかかわらず、それを目にしたとき,われわれは何とも言えぬ懐かしい嬉しさを感ずる。それは、彼ら幸運な時代に生を受けたマンガ家たちが、世の中の貧しさをバックボーンにして、読者との間に強いレポール(共感)をかけられた時代の作品だからなのである。
その貧富の差が一番大きかった昭和三十年代初期に活躍したのが本書の中川秀幸である。マンガの真の黄金時代の味を十二分にたのしんでいただきたい。

……この人も,貧乏だったろうなあ。
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おかしな文章は、

"互して"

こんな日本語はない。多分"伍して"

"日本人は大部分が中流家庭などという(略)成り果てた"

人が家庭に成り果てる?中流階級とでもするところだ。

"貧しさの単位"

貧しさに単位があるとは初めて聞いた。一単位は何をどうやって測るのか。水準,あるいはレベルと言いたかったのか。

"レポール"

フランス語のrapport。従って,"ラポール"または英語読みで"ラポート"*

rapportをかける、とは心理学用語で"信頼関係を築く"という意味のようです。念のため"レポールをかける"で検索するとなかなか興味深い結果が得られました。ごく一部でガセが広まっているようです。

肝心の内容ですが、例によって作品論や解説ではなく、最近のマンガが詰まらなくなった、と相変わらずの主張をしているだけのものです。論旨を順に並べると,

- 最近物語、特にマンガが詰まらなくなった。(< そう思うでしょ,なんて甘えてないで具体例を示して欲しい。)

- 面白いものを描く人は一定のパーセンテージいつもいる。(< ならば詰まらなくなったわけではない)

- 中間層より下のマンガが面白くなくなったのだ。(< 中間層以下って面白い事を基準にしてるなら、もともと面白くないものではないか)

- 画力も作話術も向上しているのに面白いマンガを描ける人が減っている(< 一定の割合で常にいるなら増えているだろう)

- 全てのドラマの基本は貧しさである(< そのドラマ観が貧し過ぎ)

- 貸本マンガは貧乏人の娯楽であり、貧乏の描写があるだけで同じく貧しい読者は共感を覚えた(< 全てのドラマの話なのに脈絡なく貸本マンガ限定!)

- その結果,二流の中クラスの作家でも一流の作家と"伍して"読者を楽しませることができたのがマンガの黄金時代。(< 本当なら、二流マンガ家が跋扈する暗黒時代ではないか)

- 今では大部分の日本人が中流家庭に成り果てたので二流マンガ家の描くものでは楽しめなくなった(< 二流マンガ家も中流家庭(笑)に成り果てたのだろうから、やっぱり今の読者は共感を覚えるんじゃないか?)

- 二流以下の中川秀幸のマンガでもかつては貧乏人に共感されたので、われわれは懐かしい嬉しさを感じる(< 一人でやってください。)

破綻以前に無論理、無内容。そのくせ中川秀幸を貧乏人とののしる事だけは忘れない。結論は、今のマンガが詰まらないのは読者の生活レベルが上がったから。そんな馬鹿な事があるかい。

次回はUA!ライブラリー・13『踏まれても』を取り上げます。


[2011/05/25追記]

*rapportは英語読みでもラポールだったので削除。
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ラポール、ラポート、レポート、レポールをレポる (?)

何か呼ばれたような気がしたので……。 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1305803846/ >432 :無名草子さん:2011/05/23(月) 12:08:48.17 >>>415 >テンテーがネットに書き込んだ情報など、...
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