北緯1度通信

シンガポール在住の日本人です。日々の雑感、趣味の話など思いつくまま書いてみます。

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唐沢俊一のマンガ論検証(13)UA!ライブラリー・13『踏まれても』

UA!ライブラリー・13『踏まれても』は2003年7月に"(株)東京文化研究所"から発行されています。奥付には、"2003年5月"の"5月"にバツ印と"…だったんです、はじめは.7月になりそう…"と原稿に手書きされています.収録作品は、山谷ルミ子「遠く消える流れ星」、木村光志「踏まれても」、小酒井ひさ「別れの曲」、西田ひろし「はかない友情」の4本です。唐沢俊一の解説は73ページから77ページまでの5ページです。珍しくカットを挿入していないページもあって比較的文章が長めです。では。

本書73ページから77ページまで。原文縦書き。強調引用者。
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同情という快楽
解説・唐沢俊一

文化人類学の領域で,《クバーデ》と呼ばれる行為がある。日本語で言うと《擬産》,つまりお産のマネ(擬態)をすることだ。
有名なのは南米のヒバロ・インディアンのものだそうだが、奥さんが出産するとき、旦那もまたそのマネをして,狭い産室で,親戚などに取り囲まれて,まるで本当にお産をするようにうんうんうなって、脂汗を流したりする(ちなみに、奥さんの方は戸外で,つきそいなしか、あっても一人くらいで産んでしまう)。そして、いざ奥さんが産み終わると,友人知人一同も,奥さんの方ではなく,旦那の方を見舞いに行って,大変だったね,とかねぎらい、旦那も,ハアハアと肩で息をしながら,自分が産んだ《つもり》の赤ん坊を見つめて,にっこりと笑う。
なんかバカらしいが,同じようなことは,文明国であるアメリカや日本でも記録されていて,奥さんの出産のとき(ことに初産のとき)など、奥さんのつわりと一緒に気分が悪くなったり,陣痛と共に腹が痛みだしたりする旦那さんが多いらしい。驚いたことに,奥さんが妊婦で胸が張るのにあわせ,亭主の胸がふくらんでくる,という例もあるという。
社会文化学者の米山俊直氏によれば、これは、人間の同情心の発露から発展した儀式ではないか,という。つまり、親しい人が苦しんでいるのを見るのはつらくて仕方がない、相手の苦しみを軽減させることは出来ないが,せめて自分も同じ苦しみを味わってあげたい,という心情が,生理的な変化を肉体にもたらし,《見るに見かねる》という大きな感情移入が,擬産行為を行わせるのだという。《同情》こそは、人間における,最も発達した感情の能力である,と米山氏は言う。そう言えば,キリストが全人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたのも、原罪を背負った人間たちに,大いなる同情を彼が寄せたからである。お釈迦様がカンダタに蜘蛛の糸を垂らしてやったのも、彼が生涯に行った,たった一度の善行に対する同情の念からだった。
同情は,高級な感情であるが故に,快い。大脳皮質の中でも最も新しい部分を刺激されるが故である。しかも,同情は純粋にそれが精神の活動であるが故に,満たされることがない(クバーデでいくら亭主が苦しんだところで,女房のお産が軽くなるわけではない)。食事の快楽は胃袋が一杯になった時点でおしまいになるし、セックスは数回も連続して行えば,もう体が続かない。第一,これら肉体的な快楽は,年齢と共に受け取る快楽の度合いが薄まっていく。
しかし,同情の快楽だけは,こちらが無限に相手に与えられ続ける,キリのない快感なのである。功成り名遂げた(ママ)人物が,晩年は必ず慈善事業に走るのも,普通一般の快楽をもはや味わえなくなった衰えた肉体であっても、同情の快楽だけはちゃんと味わえるからである。黒柳徹子がユニセフの慈善大使(ママ)になったり、イーデス・ハンソンがアムネスティの日本支部長を勤めたりしたのも,この同情の快楽のジャンキーになったからだ、と、意地悪く見れば見られないこともない。
世に”お涙もの”というジャンルがある。ドラマは,これでもかこれでもかと、主人公に降りかかる不幸を描く。嘆き悲しむ主人公。
「なんてかわいそうなのかしら」
読者はそれを思い,主人公の境遇に同情する自分を,心の片隅で,
「他人の不幸にこんなに同情できるなんて、なんて私は心の美しい,やさしい人間なんだろう」
という深い満足にひたることができるのである。
……悪意に満ちた考え方だ,などと言うなかれ。この、他人への同情を快感と感じる心のメカニズムあればこそ、人は可哀想な他者に,なにかをしてあげたいという気持ちになり、多くの不幸な子たちが,今この瞬間もなお,世界で救われつつあるのである。
そして、《同情》につきものの《涙》は、論理を超越するものである。男女がどんなに言い争っていても,女が先に泣き出してしまったら,もうそこで男の負けである。言い合いとは論理であり,涙は超・論理だからである。これは、女がけして男に劣っているということを示すものではない。所詮,男は論理大系(ママ)でしか動けないが,女性の行動は,それを超越したところで、人智を越えたパワーを発揮するのである。かの大映映画『大魔人』(ママ)で、すさぶ魔人(ママ)怒りを鎮められるものはただひとつ、乙女の涙だけであった
さて、ここに今回,復刻した作品の多くは昭和三十年代から四十年代初期に発表された,お涙マンガである。ここで復刻するのは,そこは『UA!ライブラリー』なのだから、B級ものが主であるが,お涙マンガの中にはA級でも多々,傑作もある(ママ)。しかし、少女マンガでもスポ根ものや怪奇ものなどは現在もなお,復刻されたりすることがあるのに、お涙ものは滅多に復刻されない。これは何故なのだろう。
ひとつには、その話の基本となる不幸の基盤である”貧しさ”、これが理解されにくくなっているからかもしれない。『遠く消える流れ星』で,千影は伯父の娘の下着を三枚,川で洗濯していて流してしまい,伯父夫婦にさんざ怒られる。それでも自分が悪いのだから,と、涙をこらえてじっと堪える千影。このシチュエーションだって、たかが下着三枚で大目玉を食うというシチュエーションが,今の若い子にはまず、理解できないだろう。また、同情を受けるには、主人公に受けるだけの資格~清く汚れない心の持ち主であることなど~が必要となるが,これまた、現代ではそれがリアリティをかえって失わせる。本書のタイトルにもなっている作品『踏まれても』の主人公みのぶの、恋人に言い寄られただけでショックを受ける心情なんかはそのいい例だ。また、悲しみを強調させようととするあまりの勇み足,非現実的なストーリィや、唐突な展開というのが、当時の作者にはよくあった。『別れの朝』『はかない友情』などのラストの、伏線もない唐突なヒロインの死は,現代の,完成されたストーリィテリングに慣れてしまっているこちらの目から見ればお笑いでしかない。それら、泣かせがお笑いになってしまった例は,『UA!ライブラリー』で以前刊行された『悲しい星の子』でも、見ることができる。
現代のわれわれは、あまりに情報量が多く,それ故,自分の目に入ってくる情報に対し,ある程度クリティカルにならざるを得ない。それが、現代において,お涙ものが流行しない,ひとつの理由かもしれない。
しかし、先ほども言ったように,涙を流して同情するという快楽は,実は何物にも変えがたい(ママ)魔魅を(ママ)、実はもっている。そして、泣くという行為は、これも言ったように,論理を超越し,それに縛られているストレスから自分を解放してくれ,たまったさまざまな浮き世のアカを,洗い流してくれる。
かつて、忍従だけの存在とされていた女性たちは,案外強く,したたかであった。それは彼女らが,お涙の使い道をよく、知っていたためである。逆に,現代の女性は,自立の道を拓いて行かねばならない分,もろい。泣く技術を習得していないからである。単純な作り話でよく泣ける者ほど,実は現実に対処する能力は持っているものなのである。
涙を再評価すべきではないか、と思う。作家の高橋和己は、恐ろしく難解な哲学的小説を書く人物だったが、一面で,通俗ドラマの大ファンで,母もの映画などを見てはぼろぼろ涙をこぼしていたという。複雑な思索のストレスを,単純なお涙ものではらしていたのであろう。
行き詰まったとき,苦しいとき、煮詰まったとき(ママ)、大いに涙を流すべきだ。しかも、その涙は出来るだけ内容のない,単純な涙,悲しみのクバーデ的なものであるのが望ましい。後に何も残らないからである。
そのためのテキストとして、こういうお涙マンガはこれからどんどん、復刻されるべきではないかと思うのである。

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いきましょう。今回の一貫しない言葉使いは
"できる""出来る"だけ。
明らかな間違いは、

"社会文化学者の米山俊直氏"

米山俊直は文化人類学者

"功成り名遂げた"

成句を端折っちゃいけない。"功成り名を遂げた"

"論理大系"

論理体系のタイポ?それにしても"論理"で十分。

"煮詰まったとき"

誤用。"煮詰まった"は、相談事などがまとまった事。

"ユニセフの慈善大使"

慈善大使って何だ?"ユニセフの親善大使"

"『大魔人』"、"すさぶ魔人"

どんな魔人なんだろう。言うまでもなく"大魔神"。

"お涙マンガの中にはA級でも多々,傑作もある"

A級作も多く、傑作もある,と言いたいようだ。同人誌とはいえ推敲くらいしなさいよ。

"『別れの朝』"

ペドロ&カプリシャスか! 収録作品なのに題名を間違えてる。『別れの曲』

"変えがたい"

誤字。"代え難い"

"魔魅"

意味不明。"魔魅"は"人を誑かす魔物"の意。魔の魅力、略して魔魅とでも思っているのか?

割とどうでもいい事だけど
"カンダタ"

大人ならここは原文通り"犍陀多"とすべき。

内容ですが、作品の解説になっていません。収録作品は自説の傍証にちょっと言及されるだけで、延々と同情快楽原理(?)と泣く事の効用を説いています。タイトルが"同情の快楽"なので解説を書く気もなかったのでしょう。漫画論ではないので気が進まないのですが、行きがかり上,唐沢はここで何を主張しているのか、を読み解いてみます。

"クバーデ"に関しては,ここここで検証されていました。2003年4月16日の唐沢の日記に"クバーデ"が出て来るが、この解説の執筆時期に一致しているようです。

"そう言えば,キリストが全人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたのも、原罪を背負った人間たちに,大いなる同情を彼が寄せたからである。お釈迦様がカンダタに蜘蛛の糸を垂らしてやったのも、彼が生涯に行った,たった一度の善行に対する同情の念からだった。"

史実と小説をごっちゃにしてるのも問題だが,キリストだ、釈迦だ、とまるで三文講談師のノリ。

"同情は,高級な感情であるが故に,快い。大脳皮質の中でも最も新しい部分を刺激されるが故である。"

回りくどく書いて誤摩化しているようだが

同情は高級な感情である -> 故に快い、 同情すると前頭葉を刺激される -> 故に快い

高級な感情が前頭葉を刺激する?前頭葉って感情の主体じゃないの?刺激ならなんでも良いの?何も説明できてません。

"功成り名遂げた(ママ)人物が(略)衰えた肉体であっても、同情の快楽だけはちゃんと味わえるからである。"

慈善事業家は快楽の虜と断言してます。

"黒柳徹子がユニセフの慈善大使(ママ)になったり、イーデス・ハンソンがアムネスティの日本支部長を勤めたりしたのも,この同情の快楽のジャンキーになったからだ、と、意地悪く見れば見られないこともない。"

同情の快楽のジャンキーって。意地悪くも何もそんな人いないから。同情の快楽とやらを説明してから言ってくれ。

"同情を快感と感じる心のメカニズム"

この人は心が脳を刺激すると本気で思っているのだろうか。

"涙は超・論理だからである"、"怒りを鎮められるものはただひとつ、乙女の涙だけであった。"

大魔人(笑)も十分超・論理だと思う。3作目の『大魔神逆襲』では乙女の涙は出てこない。唐沢やっぱり薄い。

"たかが下着三枚で大目玉を食うというシチュエーションが,今の若い子にはまず、理解できないだろう"

理解ですか。昔は下着が貴重品だったんだね、とか、三枚流したらそりゃ怒られるわ,とか思うんじゃないか?唐沢は若い子にコンプレックスでもあるのかな。

"恋人に言い寄られただけでショックを受ける"

収録されている作品では、恋人が上司の悪行を知ったとたんに豹変したから不信感を持って逃げている。解説する作品を読んでないのか?

"行き詰まったとき,苦しいとき、煮詰まったとき(ママ)、大いに涙を流すべきだ。(略)そのためのテキストとして、こういうお涙マンガはこれからどんどん、復刻されるべきではないかと思うのである。"

現在の目から見るとお涙マンガなどお笑いなんじゃないのか?同じ文章の前後で矛盾するのが唐沢クオリティ。

まともな文章はほとんど無い惨状ですが、論旨を辿ってみます。論旨の裏付けは福島第一原発3号機建屋並に崩壊しています。

1)同情は高級な精神的感情であり快楽をもたらすが精神的である故永遠に満たされることはない

2)肉体的な快楽を受容する事は年齢と共に衰えるので、年を取ると快楽を味わえる同情を求めて慈善活動に熱心になる。黒柳徹子やイーデス・ハンソンなどは同情快楽ジャンキーと言えなくもない。

3)同情には涙が付き物だ。女が泣くと人智を越えたパワーを発動するので、論理大系(笑)でしか動けない男の負け。大魔人(...)を鎮められたのは乙女の涙だけ(違)だった。

4)現代の,完成されたストーリィテリングに慣れてしまっているこちらの目から見ればお笑いでしかないお涙ものは滅多に復刻されない。

5)だが、泣くという行為はたまったさまざまな浮き世のアカを洗い流してくれる。作家の高橋和己も複雑な思索のストレスを単純なお涙ものではらしていた。

6)で、"行き詰まったとき,苦しいとき、煮詰まったとき(ママ)、大いに涙を流すべきだ。(略)そのためのテキストとして、こういうお涙マンガはこれからどんどん、復刻されるべきではないかと思うのである。"となるのだが。

4)と6)のラクサに、いえ落差に目眩がします。口から出任せ,とはこういう文章を言うのでしょう。

今の女性は泣く技術を習得していないからもろい云々は馬鹿馬鹿し過ぎるのでオミットしました。

次回はUA!ライブラリー・14『にくしみ』を取り上げます。


2011-06-27 追記
リンク先と引用符の使い方を修正。
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